わたしが教師を辞めフィンランド留学を志した根本的な理由

2020年6月5日

 

 

 

突然ですがその答えは根本的な人生観が変わったから。

 

わたしはずっと、努力することが大事、だと思っていた。

苦手なことでも、きついことでも、それを乗り換えた先にしか「幸せはない」と。「明るい未来はない」と。

わたしたちは、努力することが大事、と周りのすべてのから教え込まされてきた。

親から、先生から、社会から。

「幸せ」は、何かが叶った先にある、と。

 

だから、何でも頑張った。

正解を求めることが大事、と教えられてきたから、親から、先生から、周りから認められて、合格の印鑑をもらうことに必死だった。

それが最上の幸せだと教え込まされてきたから。

 

でも、ふとしたときに気づいた。

社会人になって、それなりに頑張り、それなりに認められ、それなりに生活を送ることができるようになってきたとき、社会人を送る上での正解とは、合格とは何ですか?と。

 

だから何でもないところからもがくポイントをわざわざ見つけ出そうとする。もともと幸せなんてものはそもそも持っているはずなのに、その先に見つかるはずもない「幸せ」を求めるから、いつまで経っても満たされない。

 

わたしたちは、社会から、学校から、大人から、「未来を見ろ自分の意見は言うな人の話に耳を傾けろ自分を出すな、この日本で良い成績を取り安定した生活を送ることがわたしたちの最上の幸せだ」と、教え込まされてきた。そして、いざその「最上の幸せ」にたどり着いたとき、「何のために生きてるんだろう」ともがく、それが今の社会の実態の一部なのではないか?

子どもたちは従来の教育法が間違っているとわたしたちに教えてくれている。

問題行動、離席、学級崩壊、この背景に隠れているのは、大人たちの頑固とした変わらない教育体制、ここにあるのではないか?かくしてトラブルが起きた時に全身全霊でそのトラブルを解決しようとするが、根本的な「背景」が変わらない限り、変えようと大人たちが変わらない限り、昨今の教育問題は続いていく。今こそ、変わる時ではないか?今こそ、目の前のいざこざに翻弄される毎日を抜け出して、根っこの部分に目を向けて光を照らしてみるときなのではないか?

 

このことに気づいた瞬間、わたしの中で何かがピカーッと、靄が切り開けていくように180度考え方が変わっていった。
そして私が受けてきた教育を同じように受けさせている「自分」が憎く、「これ以上1秒もこの仕事をしている自分を人生を過ごしたくない」と思った。

とは言え日本の教育体制を卑下してるつもりは毛頭ありません。
わたしが個人で勝手に感じたことで、わたしは「わたしの思う教育」をやっている自分が嫌だっただけで、わたしの周りには子どもたちの能力を引き出す巧みな技をもって教育活動にあたっている先生方が大勢いました。
その方たちを心の底から尊敬し、最後の最後まで「こんな大人になりたい」と思わせてくれる方たちでした。

 

わたしはこれから、大学の頃からずっと興味をもっていた「レッジョエミリア」「モンテッソーリ」「シュタイナー」などの教育法を勉強していく。

ざっくばらんに「自由」「子どもたちの主体性」「縛られない」

何者の制約も受けず

やりたいときに

やりたいことを

やりたいだけ

やりたいように

開放感に包まれてやっていく子どもたちの姿を見たい。

その姿はがんじがらめになった大人たちの心を溶かしてゆくのではないかな。

 

だから、私はフィンランドに行く。

ヨーロッパの進んだ教育を自分の目で見るとともに

「自分で幸せを選択していく」生き方の環境にどっぷり浸かりたい。

 

そんなことを思う今日この頃てす。
子どもたちのいろいろで心を食い尽くされる教員を何人も見てきて、自分もそのうちの1人だった。
毎日のその労力、明日への絶望、今日1日が終わった安堵感、それらすべてを「教育の根本を変えていく」労力に変えていきませんか

 

 

 

 

 

 

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